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言葉のその奥

星の王子さま、今年に入ってやっと…やっと読み終えました。 …というのも、読み終わるまでかれこれ…12年かかったのです! 数行、数行、読み進むたびに、感じること思うところがぶわー!っと湧いてきてリンクして、頭の中がどこかへ飛んでいっちゃいます。そして暫く期間を開けて、再び手にとったときはまた最初から読み進め…と繰り返していたからです。   この本は、紙の上にインクでのっているのは同じ言葉なはずなのに、読む度により深く、より多重構造になってそこから何か「ものすごく大事なこと」がチラ見えします。それを掴もうとすると本の表面に書いてある言葉の先に進んでなんて居られない。深く思うことがある言葉に出会う度に立ち止まってしまうものだから、こんなに長い時間がかかってしまいました。   言葉にならない素敵で大事で多重構造なのにシンプルなものが、やさしい言葉という姿を借りて、宝物箱みたいにた~~~んと詰まっっているこの本。子供の時に読んで「読んだ気」にならずに済んでよかったと、心から思います。それから、日常の中で「わかった気」になっていることのなんと多いことだろう、と自らを振り返ります。   明日は七夕で、東京セミナーですね。 天の川は見えるでしょうか。
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ものを見ること、考えること2

「ちゃんと見る」ってことと「考える」ってことはとても深く繋がっているなと思います。 「考える」には材料としての情報が必要だから「見る」という情報収集が必要なのだろうなとおもうのですが、その収集した情報は、歪んでいないほうが、よりいいですね。そのまんま見る、というのはとても素敵なことです。   初めて写真にハマった高校生の時、父の古くて大きいカメラの重みを感じながら、「写真」て「ほんとうを写す」ってことは「そのまんま」が見れるんだなぁ〜、すごいな写真、と深く関心した記憶があります。(今みたいに、サイズも色も簡単にフォトショでいじったりできなかった頃のことです(^^)r)   ふと思い出すのはカメラを撮る時のこと。 最近のカメラはデジカメなのでいくらでも撮れますが、少し前のフィルムだったころは撮れる枚数に限りがありました。12枚とか24枚とか36枚とか。なので、シャッターを押す瞬間は、自然と厳選されるわけです。そうした瞬間は、今よりはるかに「撮った時に何を感じ、考えていたか」を覚えています。   カメラのフレームや瞬間を厳選するという「枠」で絞ることでより深く気づくこともあれば、見ているはずなのに気づかないこともあるのだな、と。 「そのまんま」を見たいです。
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今年も咲きました

ひぁ〜…暑い! もう七月ですね。   今年もウチの庭で咲きました。 心が洗われるような、甘くて清々しい素敵なにおいがします。 今季はあまり手をかけていなかったにも関わらず…健気なコです。咲いてくれてありがとう。 手をかければ手をかけるほど、すくすくと育ち、花をつけてくれるので、薔薇育てにハマる人の気持ちがやっとわかってきました。 一輪だけ咲いたこのコを見ていると、星の王子さまを思い出します。
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いいものを食べる(良い素材/マイナス除去/美味しく調理)

  いいもの(素材が良くて、マイナス除去されていて、美味しく調理されたもの)を食べると、身体が喜びます。私はおっきななりをして丈夫に見えるくせに弱々なので、超結界機器用昇氣でマイナスを省いてないものを食べると、たちまち身体にでます。肌が荒れたり、しょんぼりになったり。身体がたちまちご機嫌ななめになってしまいます。   レバーフラッシュをしてからは、更に明確に「今の私の身体にとって、何が良いもので、何が悪いものか」がわかるようになったみたい。身体って、人によって、その時期によって、ほんとうにまったく違います(おもしろいくらいに!)。反応も、バランスのとり方も。その時々によって「美味しいもの」も違います。でもその身体が感じる「美味しさ基準」ってどこにあるの…?と今回レバーフラッシュして感じました。   というのも、今まで外で買って美味しいなと食べていたカツサンドや海老巻きずしが、レバフラ後…不味い!(残念!)レバフラ後、細かい味が分かるようになったので今まで「美味しいなぁ」って漫然と感じていた詳細は、実はこうだったのか!ガッカリ!…という事象が起こっているのです。…つまり毎日の食事の「慣れ」とそれによって作られる身体によって、日々「美味しい」感覚が作り変えられているということです。感覚って作り変えられるんですね。食事を選ぶ頭の中の「私」の知らないところで!   いつの間にか慣れちゃって、いつのまにか自動的にマイナスバランスをとって「そういうものだ」と思ってしまっている…。これってマイナスの影響と同じだなぁ〜、なんて感じます。時間とともに、食べるものとともに、美味しいと感じる「味覚」が刻々と変化してゆくものだとは思わないが故に…。感覚って常に変化して「全く同じ」ものはないのに(似たようなもの、はある)、それを頼りに日々の選択をしているのが私達ですから(苦笑)。なので、たまにリセットするのは、とても良いテかもしれません。   身体によくて、美味しいものを食べていきたいなぁ、って思います。 だって、そのほうが身体の健康を維持できるし、一日三食、時には二食の食事を、残りの人生あと何回食べれるんだ?って思ったら…ね?(^^)フフフ