ものを見ること、考えること2


「ちゃんと見る」ってことと「考える」ってことはとても深く繋がっているなと思います。
「考える」には材料としての情報が必要だから「見る」という情報収集が必要なのだろうなとおもうのですが、その収集した情報は、歪んでいないほうが、よりいいですね。そのまんま見る、というのはとても素敵なことです。
 
初めて写真にハマった高校生の時、父の古くて大きいカメラの重みを感じながら、「写真」て「ほんとうを写す」ってことは「そのまんま」が見れるんだなぁ〜、すごいな写真、と深く関心した記憶があります。(今みたいに、サイズも色も簡単にフォトショでいじったりできなかった頃のことです(^^)r)
 
ふと思い出すのはカメラを撮る時のこと。
最近のカメラはデジカメなのでいくらでも撮れますが、少し前のフィルムだったころは撮れる枚数に限りがありました。12枚とか24枚とか36枚とか。なので、シャッターを押す瞬間は、自然と厳選されるわけです。そうした瞬間は、今よりはるかに「撮った時に何を感じ、考えていたか」を覚えています。
 
カメラのフレームや瞬間を厳選するという「枠」で絞ることでより深く気づくこともあれば、見ているはずなのに気づかないこともあるのだな、と。
「そのまんま」を見たいです。