きさ:なんでそういうことに気がついたか、っていうと、
自分でフウチして計ってる…@さん…
その人の結果が、正確じゃないねん。
でも、本人は正確やと思ってるねん。
…これは「慢心」やねんな。
つる:ふむ。
「これ、合ってるかなぁ?」っていうのが無いんですね。
きさ:うん。
「フウチで計れる」ことには、自信持って欲しいねんけど…
つる:「フウチで計った結果」に、慢心しないで欲しい?
きさ:そう。
「慢心」とか「過信」に
エネルギーを注いでるのは「自信」やねんけど、
そいつらが大きくなって重くなりすぎると、
今度は「自信」が揺らぐねん。
小さくなるねん。
つる:ああ…(頷)
きさ:ほんで、@さんは、自信が無い時には
他の人に確認をするねんけど、
問題はその相手やねん。
つる:相手?
きさ:その確認する相手は、
どこと繋がって情報を得てる?
それを知っとくのも、正しい情報を得る為に、重要なポイントやねん。
つる:ああ…確認をお願いする相手さんが、
自分の望むところと繋がってるかどうか、ですか。
いつでも、大事ですよね。
「上」に訊く時でも、
フウチで調べた情報の追試を
誰かにお願いする時でも。
きさ:自分で尋ねるときも、
他人に尋ねてもらって確認するときも、
誰に繋がって尋ねてるのか。
変なトコと繋がってないか。
そこんとこ、ちゃんとしとかんと。
つる:………これは…興味深い………
………すっごく大事な話しですね~…
きさ:でしょ?
つる:「慢心・過信・盲信」のあたりも、
ああそれ!それよそれ!ってかんじで
ばっしばし膝を打つくらいです(苦笑)
きさ:フウチするときには、
そこいらへんに、陥りやすいポイントがあるよ。
つる:まず、フウチを「するか、しないか」があって
その次に「できるか、できないか」になって、
できるようになった人は
「フウチで調べた結果が、全てあっている」
になりがちなんですよね。
調べた結果が、どれくらいの割合であっていて
どれくらいの割合であっていないか、
確認しないと。
もし、あっていないとしたら、
何があっていない原因なのか
調べること、大事ですよね。
質問や、考え方とか、
どの要素がどれくらい適当でなかったのか
修正するだけで済むのか
足りない要素があるのか…
そこを考えるのを、
はしょっちゃう人が多い気がします。
きさ:うん。
つる:なんで確認しないんでしょう?
「これであってますか?」
って誰かに確認したらいいだけですよね。
きさ:確認せずに、がーっ!と行っちゃったら、怖いよ。
つる:その誰か、が周囲に…いないんですかね?
もちろん確認する相手が、
「ちゃんとしたところに繋がってる」のが前提ですけども。
つる:みんなで確認できる「場」ですよね。
沢山の人の意見を貰えると、
自分の偏った考え方にある穴が
埋めることができそうです。
きさ:うん、だからどんどん利用したらええと思うねん。
つる:色んな視点があると、
自分だけじゃ見えなかったモノが、
いつだって見えてきますもんね。
三人寄れば文殊の知恵…ですかね?
きさ:いつだって、視野の狭さを自覚してたほうが、ええね。
ほんで、足りんとこは補えばええねん。
狭いとこから抜け出て、
より広い視点でものを見た時に
分かることが多いから。
ちまこい世界の、
重箱の隅ばっかりつついてても、
しゃぁないやん?
つる:確認せずに、もっともっと、って調べていって
盲目的になっちゃうのは…
人に話したくないことを調べてるから?
素直に話すのに抵抗があるから?
…まぁ、調べるのは面白いですからね。
いろんなことが「わかる」のは、
とても、とても面白いので、
エネルギーの足りる限り、
どんどん調べたくなる気持ちはわかります(苦笑)
きさ:問題は、その後、やね。
つる:「わかったつもり」がやばい?
きさ:短絡思考に陥るのは、やばいね。
(「フウチするときに陥りやすい罠3」に続く)