きさ:今日はね…フウチをする時に陥りやすい…
なんちゅーのかな、罠、みたいな
そんな話したいねん。
つる:…!! Σ(*゚ロ゚)
きさ:フウチはじめた人に、
いつでも僕は、
「まず自信持って」って言うねんな。
いつも言うてるやろ?
しつこく、自信持て、自信持て、って。
つる:はい、ほんと何回も。
きさ:っていうのは、
自分の感じたことを
そのまま言わないとあかんし、
んで、それを疑問にせなあかんし。
つる:(頷)
きさ:そんで「自信」を持ち始めて、
最初に陥りやすいのが「過信」やねん。
それから「過信」の次に
「慢心」にいってしまうねん。
つる:(頷)…いつもその流れのこと、
おっしゃってますよね。
きさ:………ほんで、
どっかに行きはンねん。
つる:…どっかに(苦笑)
きささんの仰る「慢心」ってどういう意味ですか?
きさ:驕り高ぶり、とかのこと。
つる:ああ~~~…
…謙虚さ、が無い?
きさ:そう。
「過信→慢心」のほうに行く人が多いねんけど、
もっと多いのが「盲信」やねん。
つる:…「盲信」…
「過信→慢心」の方向性と
「盲信」の方向性は違うんですか?
きさ:違うよ。
つる:フウチの結果がこうでたから、こうに違いない。
って短絡的に決めちゃったりする人とかですか?
………よく居てはりますよね。
きさ:「自分の感覚では、どっち?」
てことを置いてきぼりにしてまう人やね。
「盲信」する前に「自信持て!」って言うねんけど…
つる:「おのれの目が亡い」から「盲信」…。
「盲信」に行っちゃう人は、
その「自分の感覚」に自信がないから?
きさ:そう。
フウチの結果を盲信しちゃう。
つる:…成る程。
きさ:自信のバランスってもんが、
過信にいったり
慢心にいったり
盲信にいったりするんかな、
と思ってるねんけど…
つる:………(頷)
きさ:一般的な事に当てはめて言うと、
ほとんどの宗教心は「盲信」やねん。
つる:ああ~~~。納得です。
「絶対的な良い存在」が
何かをしてくれる前提だったりするのが
宗教ですよね。
きさ:常々「そんな都合のいい人は居らへんよ」
って言うてるねんけどなぁ。
向こうは向こうの都合で動いてるし、
向こうは向こうの計画で動いてるし。
つる:…それが、こっちで生きている私達にとって
都合が良いかどうか…は、
また別の話ですよね…
きさ:そう。
だからその「自信」が
「過信」と「慢心」と「盲信」になってて
それらが ”心” 繋がりの正三角錐みたいな形で
ごろごろ、ごろごろ、転がってるみたいに感じるねん。
つる:正三角錐の各面に、書いてあるんですか?
「過信」「慢心」「盲信」って?
きさ:うん。ほんで、どれが正面、っていうのが無いねん。
つる:…どこかの面が「自信」じゃなくて
三角錐自体が「自信」で、
その各面に「過信・慢心・盲信」って書いてある?
きさ:そんなかんじ。
つる:じゃぁ、どこが「丁度良いところ」なんですか?
きさ:全部の面に、均等に光が当たることやろね。
つまり、順調に回転することやろね。
つる:…動かない状態…
どこかの一面にだけ光があたってる
っていうのもダメですよね。
きさ:そう。
なんでそれに気がついたか、っていうと…
(「フウチするときに陥りやすい罠2」に続く)