風立ちぬを観た後、おもうこと。
この映画をみて、沢山感じることがあるけれど、
「感じている」ことを「考えてる」と勘違いしがちだな、と。
その違いに、自分は気づけているのかな?って。
これはとても陥りやすい穴で、聴いて・見て・触って・嗅いで感じて集めた沢山の情報は『考える材料』。だけどその材料に濃い「他人の考え」が入っていると、あたかもそれを「自分の考えである」かのようにウッカリ認識しちいがちじゃない?いろんな考えに感染したくて映画を見たり本を読んだりするけど…この「考え」の、良くも悪くも、物凄く強い感染力。そういう感染をしているだけで、実は自分で考えてる事ってすンごォ〜っく!少ないんじゃない?あれ?これ群知能の話につながってくる?
一番ぐっさーと刺さったのは、カストルプさんの「忘れる」って繰り返していた台詞。
あまりにも、そのとおりで。
じゃぁ、必要なときには大事なことを思い出せる「しくみ」はどうやったらできるんだろう…。
ひとつずつ、考えるときは足元確認、ひとつずつ…。
と、忘れっぽくて考え足りなくてすぐ混乱しちゃいがちな自分とオツキアイする覚悟を改めて(^^;)
つれづれ浮かんでくる思いと風に身をまかせながら、映画の帰り途HONDAのバイクエンジンに揺られてると「バイクに羽根が生えたらもう飛行機…」なんて、飛んでいるような気分になりながら車の少ない夜道を飛ばして帰りました。おわり!