脳の無茶振りに、身体は健気についてくる。

2011年後半から、ワタクシは「禁」刺激物をしております。
…というのも、私は32サイクルとはいえ、Ge3値で言えば128pというMAXな「こねくり」を持っていました。(くわしくは上耳噺41:人によって構造が違う1をどうぞ)こねくりは紐が編んで絡まるみたいに、その絡まり方や解け方も人それぞれらしいのです。

きささんに特別に入れてもらった「こねくりの修正プログラム」のせいか、今までは反応の鈍かった刺激物への身体の反応が、だんだん素直になってきたようなのです。

 

そして、珈琲から始まり、ニンニク、キムチ、酒、ラーメンなどの濃ゆいもの、わさび、胡椒、生姜…アクの強い野菜も量が多ければアウト、そういうもの全てに反応するようになりました。
 
最初は何が刺激物で何がそうでないのかわかるようでわからなくて、食べてから「Oh!No!」となることが多くて戸惑いましたが、何度か試しているうちに、だんだんわかってきました。
つまり、乳幼児には控えたほうがいいだろう、というものを控えていれば大丈夫。
それって考えてみれば至極シンプルなことで、フウチで調べてみるに、私の身体はナリは大きく丈夫そうなんですが、中身の内臓が弱いらしいので、内臓がまだ発達していない乳幼児には処理できないもの、それがつまり「私にとって処理できないもの=刺激物」なわけです。
内臓のサイズも大人だけれど、機能がちょっと弱いので諸処の問題が出てくるということに、上に訊かなければきっと死ぬまでわからないままだったことでしょうね。
 
私の脳が「美味しい」と認識するものは全て刺激の強いものだったりして、最初のうちは大好きな珈琲も生姜もだめ、というので「うぐぐ…」と涙目になっていたのですが、刺激物を減らすと身体がぐんぐん作り変わっていくのがわかります。
今現在も、その過程の真っ只中です。
そうして暮らして数ヶ月ほどすると、次第に、「ほんとうに今、身体に必要なモノ」が美味しいと感じるようになってきました。
つまり、脳だけ精神的快楽のために欲しいといっているモノと、身体が自身の構成に必要なので欲しいといっているモノとの、利き分けができるようになってきたようです。
 
…むしろ、今までどれだけ利き分けができてなかったんだという話になんですが(苦笑)、慣れとは凄いもので、今までの成長過程の中で吸収してきた食生活、周囲の人達が好む食材、誰かと共にした喜びの記憶等が蓄積されていく過程で、より脳が「Yeah!」と喜んだものが「好み」となってその後の食生活の指針となっていたようです。

 
例えば、昨日、きささんがblogにかいていた生姜カレーのような話です。
私はちょこっとだけタイに住んでいたこともあり、過度にスパイシーな食事を日々しているうちに、どうやら「生姜は薬味でなく、野菜である」と脳内情報に修正が入った模様…。や、実際、野菜なんですけど「モリモリ食べるもんではない」っていうことに他人に言われるまで気づかなかったんですね。
だって美味しいから、好きだから、いっぱい食べたい(笑)。いつの間にか、薬味としてちょっと添えるもの、から、野菜のようにモリモリ食べるもの、に脳内シフトしていたんです。
 
そりゃあ自分にとって処理できない刺激物を過度に摂取すれば、身体にかかる負担は相当なものだと考えが至るのは当然なのですが、「好き」とか「慣れ」とか「他の人は大丈夫だから、私にもきっと大丈夫」とかで食べものを口にしていると、そういったことと身体の不調とに関連付けができないわけです。
 
刺激物に慣れきった身体は、マイナスバランスをとって、反応も悪くなっています。
だからすぐわからない、という事もあるかもしれません。
 
脳が無茶振りをしても、身体はできるだけついていこうとします。
ついていけない時は、できうる限り、作り変えちゃったりなんかもします。
その健気さっぷりといったら!
身体は素直だなぁ、と思う次第です。
そして、身体の舵を取るのは自分だなと。
 
「そんなんあたり前」の事でしょうが、
耳にするだけでは染み入らなかった「当然の理」が、
自分で痛い目みると、大変よく、深ぁ〜く、染み入ります…(苦笑)