口蹄疫まっさかりの頃、何度も馬さんに会って、乗せてもらっていました。
バイクよりオープンカーより視点が高く、言葉で表現しきれない開放感。
馬車をそんなに知らない世代の私でも、
車を「馬力」で表現することに、成る程成る程と頷かせる力強さ。
身体を乗せるということは、全てを預けるということなので、
猫や犬とは築けないカタチの信頼感と関係性ができます。
その関係性をもって一緒に何かをする、ということの素晴らしさ。
メディアが賑わっていた頃だったので、彼等の大きくてしなやかで美しい身体に乗って、安心感と開放感を得ながらも、本当に沢山のことを考えざるをえませんでした。
「収まった」との報道があってから、TVやなんかでは、あんなに大波だったものが一斉に凪いでしまったかのようです。
彼等とは対等では居られないかもですが(捕食者対被捕食者など)、
敬意ははらわんといかんとおもうのです。
疑問が一杯です。
でもこの「疑問を持つ」というのが何より大事なのではないかなと。
何が正しいか正しくないかなんて、
時勢や価値基準の変化で、
簡単にひっくりかわってしまうモノなのは言うに及びませんが、
そのなかでも
「今、何が最善なのか?」ということを
たとえ答えがでないとしても考え続けないと、とおもうのです。
自分に何ができて、何をすべきなのか、を考えるとき、
情報は誰かが意図的に発信するものなので、
それによって無自覚に操作されることができるだけないよう、
無為な情報に振り回されずに、
自分の意思で行動できるように、
情報の便利さと怖さをわきまえつつ、
アンテナをピッとはって考え続けたいとおもうのです。
乗った馬さん全員のプリクラをGETして帰ってきたりしました。
この間まで競馬場で現役で走っていた馬さんの動きが、ひときわしなやかできれいでした。
こころからキレイないきものだなぁ、とおもいます。